あたりまえな街との衝撃の出会い
2009年、ドイツ中西部に位置するベーテルに行ったことが全てのスタートでした。人口が約2万人で障がい者、高齢者人口が約4割。そして、健常者も非健常者も分け隔てなく生活している街です。東京でベーテル施設長ウルリッヒ・ポール牧師にお会いした時、ポール牧師は私の理想とする建築やまちづくりの話を聞き、こう言われました。「山下さん、あなたは完全な人間だと思いますか? あなたと障がい者の違いは何ですか? あなたが理想とする街は私たちの場所かもしれない。是非来た方が良いですよ。」その半年後2日間の滞在で様々な施設をご案内頂き、当たり前のように普通に何処でも障がい者や高齢者が働いている、特別ではない姿に感銘をうけました。
勉強会のスタート
2014年から東京の私が主宰する設計事務所で高齢者施設の勉強会チームを結成しました。最初にお話を伺ったのが日本社会福祉事業大学教授の井上由起子さん。彼女から世界と日本の施設の現状や違いを教わり、見るべき施設を伺い、にわか勉強する中で施設めぐりがスタートしました。同じ年、私は九州大学の客員教授に任命され、大学院生と共に街づくりの授業を始めました。1年目は農業を中心とした街づくりのスタディを行い、2年目の2015年に九大のある箱崎を詳細にリサーチすると共に、実践的な高齢者・障がい者を中心とした街づくりをテーマに授業を行いました。
高齢者施設の設計の実践
2016年、鹿児島の指宿で有料老人ホームとデイサービスを設計したことが縁で「いろ葉」の中迎聡子さんと出会いました。聡子さんの運営方針は、施設中心ではない、それぞれの生きてきた人が中心となれるような介護の実践を行うことで、全国でも有名でした。介護する側のスタッフも勤続年数が長く、給与も安定しており、スタッフの人数も多めに配置されているため、見守りの体制がしっかりしています。例えば、1日30数回徘徊する方がいても、鍵をかけることなく、一緒にスタッフが外に出かけるような施設。その聡子さんと意気投合して、聡子さんの故郷の鹿児島県川辺市に聡子さんの運営する小規模多機能を一緒に設計しました。
故郷での建築家としての設計活動
その頃、私の建築家としての拠点が3箇所になりました。東京(アトリエ・天工人)、福岡(スピングラス・アーキテクツの共同代表)、奄美市笠利町(奄美設計集団)で国内外の設計活動を行なっている中で、龍郷町の芦徳で高級リゾート施設(2018年春オープン)の設計の機会を頂きました。また、建築家の妻との共通する趣味で10箇所以上の国のリゾート地や宿泊場所を巡ることで、宿泊施設の研鑽を積んできました。それらの研究を行う中で奄美群島の空き家問題を解決して欲しいとの依頼が行政や集落から舞い込んだのです。
伝統的な空き家活用のための「伝泊」
そして、様々な集落の伝統的・伝説的な空き家を利用した「伝泊」を2016年の夏からスタートしました。最初は笠利町の2棟からスタートし、翌年には3棟が追加され、2018年度には、徳之島町を含めて15〜20棟の伝泊がオープン予定です。月に1〜2度奄美に帰り、様々な方たちと話す機会が多くなる中で、奄美の介護や医療の実態が少しずつ見えてきました。大学で行なっている授業の実践を故郷の奄美で行いたいと思うようになりました。
9年越しの思いの実現
その頃、考えを共有できるお二人に出会うことができました。1人目は、奄美と東京を跨ぎながら業務コンサルタントや奄美市産業創出プロデューサーの活動をするサイバー大学教授の勝眞一郎さん。2人目は、在宅ケア・訪問診療を実践するファミリークリニックネリヤの徳田英弘さん。私の思いを実践するためのメンバーが揃ったのです。2017年に銀行の資金提供や行政の補助金を受け、山下保博×(アトリエ・天工人+奄美設計集団)設計による「伝泊+まーぐん広場・赤木名」プロジェクトがスタート、2018年7月にオープンを迎えました。